青木 周蔵

旧青木家・山口県萩市

(1844~1914)町医者の家にうまれた青木周蔵は、長州藩の高名な蘭学医、青木周弼の弟、研蔵の婿養子なる。 山口県萩市に昔のままの姿を残す武家屋敷群の中に、旧青木家が今も残り、石碑には青木周弼、青木研蔵、青木周蔵の3人の名が刻まれている。日本におけるドイツ通の第一人者として、ドイツの体制・文化の導入をはかる。外交官としての青木は条約改正交渉に長く関わることとなった。駐英公使として領事裁判撤廃の条約改正に成功、のちの第2次山県有朋内閣外相として条約改正の実施にあたった。品川彌二郎の朋友。獨逸学協会第2代委員長。日本建築学会初代会長。大正3年(1914)没。