復興期戦禍の混迷の中から獨協新生へ〜天野貞祐の登場〜

昭和22年3月の卒業式に 天野貞祐 が初めて来賓として出席した。どんな話をするかと水を打ったように緊張した獨協生に対し、天野 は「私のうちの子供から、お父さんが今迄に一番嬉しかった事は何ですかと聞かれた時、それは [ 道理の感覚 ] という本を書きあげた時と、それからもう一つは獨逸協会の中学を4年遅れて卒業した時と答えました」と。「先生の祝辞は参列者の全ての耳に、その一句一句が少しのこだわりもなく吸収されていった」(大久間喜一郎)という。卒業生代表の答辞を 天野 は実に熱心に聞き入ったという。何もない時代に、師弟の光があった。



目白のシンボル、旧校舎玄関口。
明治洋風の香り高いが、補強材にも注目あれ。

第10代校長・吉岡正明(東京女子医大病院長)

建築後40年たった木造校舎は裏へまわると荒廃がひどかった。


第12代校長・市川秀雄(中央大教授)明治天皇侍医の子、大正8年獨協卒・東大卒。
名門私学・獨協は、戦争直後から昭和27年末まで混迷と苦悩にもまれていた。明治80年のうみがあふれ出た感があった。PTA父母会が出した昭和27年晩秋のビラ。

昭和20年代の生真面目な獨協生たちは、獨協学園の新生を願い、自力の改革を考え、天野博士の直接指導を欲して活動した。

旧校舎平面図(文字表記部分を一部修正)。正面2階に講堂があった。現在の創立百周年記念体育館の場所には、昭和14年建築の中学校校舎があった。左上円内は第11代校長・額田豊(東邦医科大学理事長・学長)。

昭和27年ごろの旧校舎(獨協百年第1号収録)

※このコーナーの掲載内容は、オリジナル写真集 「目でみる獨協百年 1883-1983」の内容と一部異なる部分があります。また、「獨協百年」(獨協学園百年史編纂委員会発行・全5巻)のグラビア、「獨協中学校・高等学校のあゆみ」(後援会発行)等の内容を活用・引用している部分があります。