日獨戦争から大震災前後
第一次世界大戦(1914年~1918年)は日獨戦争でもあって、一般日本人の間に反獨感情を生んだ。国権は古くさくなり民本が流行した。大戦中の経済ブームは文明の英米化をもたらした。大正10年前後の評議員会で「危ふくも大体廃校と決定されなかった」(額田豊)。しかし「獨逸国は亡ぶとも獨逸文化は決して衰えない」という存続論が制して事なきをえたという。少年内村祐之も同様の論点を校内口演大会で獨逸語で展開した。たしかにロシア革命とドイツ革命は、極東の獨協にもう一つの転機を与えた。しかし獨協生たちは、運動に勉学に励み、大正期らしい自由な青春を味わっていた。
「めじろ」第35号(大正4年12月発行)。
扉は「馬城」とあり、全170頁のしゃれた一流志向の生徒会文芸部編集の雑誌。「学友会雑誌」の後身。
同号の巻頭論文は教師の権田保之助のもの。権田はユニークな大衆娯楽研究で大をなす。戦後NHK常務理事となる。
軍国主義やUボート作戦で英米文明圏から嫌われた獨逸(大正4年5月、語学雑誌)。
権田保之助は語学雑誌でも活躍した(大正7年5月)。権田の和獨や獨和辞典は有名。
辻高衡一高教授(明治25年別科卒)の論稿(大正7年1月、語学雑誌)。
日独戦争となって獨逸語学習者や獨協中学への国民の風当りが強くなってきた(大正7年1月、語学雑誌)。
ドイツ敗戦とドイツ革命のころの新聞記事の講読(大正8年4月、語学雑誌)。