隆盛期獨協学園〜200年に向かって〜

獨協医科大学 -関構想の実現-

宿願の花ひらいた獨協医科大学は、創立後、着実な歴史を歩んでいる。しかし設立の声を挙げてから、許可に至る道は遠く苦しかった。獨協人一丸となった努力が確実な結晶として具現し、今や医科大学としての機能と活動を十分に果たすまでに成長した。仁医として医療を担い、地域社会に貢献し、さらに国際的医療人の養成を目指している。
時あたかも獨協百年にあたり、獨協医科大学に新たに越谷病院の設立をみることは、医科大学構想の拡充と発展を願う全獨協人の宿願である。


獨協医科大学開学期の役職者。左から磯田仙三郎、関湊天野貞祐、石橋長英、佐藤重一。
大学校舎の建設
第1代獨協医科大学学長
石橋長英(国際医学協会理事長)

病院の建設
獨協医科大学の北西方面をみる。
獨協医科大学の南東方面をみる。
獨協医科大学の第1回入学式
第1回卒業式(昭和54年3月)。
水原秋桜子の句碑
獨協医科大学教員の学術雑誌
「学内だより」と「父兄会だより」

※このコーナーの掲載内容は、オリジナル写真集 「目でみる獨協百年 1883-1983」の内容と一部異なる部分があります。また、「獨協百年」(獨協学園百年史編纂委員会発行・全5巻)のグラビア、「獨協中学校・高等学校のあゆみ」(後援会発行)等の内容を活用・引用している部分があります。