隆盛期獨協学園〜200年に向かって〜

獨協大学 -学問を通じての人間形成-

「倫理的文化的教育共同体の一員として、大学理念の実現に協力する同志として新入学生を受け入れる」という天野学長の宣言で獨協大学は開校された。京大教授時代に学生課長を勤めた時、天野は「強い関心と親愛」を京大生に感じ、京大生も天野の教育愛に共感し「実に率直に従順によくわたしの指導を受け入れた」という。今日の学生が学長に創造的に協力してくれるだろうか。学生がその持場と使命を自覚し、学則はもとより、一般に法を尊び、秩序を重んじ、規則正しく、勉学に精進し、心も健康、身体も健康であることを天野は熱望した。


いまから思うと、おかしなエピソードにあふれる仮校舎用プレハブ。

大学誕生。白鷺の舞い降りる深田の真中に大急ぎで第2棟と本部棟が建築されはじめた。(昭和39年初春)

全容を現したキャンパス
歴史的な第一回入学式。「学問を通じての人間形成」の理念を具体的に実践しようという天野学長の呼びかけに答えて、全国から心ある青年が結集してきた。
獨協教育協同体の一員となることを誓った入学宣誓式。

建学の碑の入魂式。左から天野学長、万沢教養部長、学生代表酒井民江さん、関常任理事、加瀬常任理事、菅原事務局長。円内は小島常任理事。

「獨協大学新聞」(題字天野学長)。第一期生の入学時から卒業時までの4年間は、着床した天野精神が確実に芽ばえた時期だった。

各学部教員の学術研究雑誌。

天野後援会の人びと。前列左から高瀬青山、波多野勤子、小泉信三(慶応義塾元塾長)、森戸辰男(前広島大学長・元文相)、天野先生、高橋明(元東大教授・獨協理事長)、田島道治(カルピス社長・東京市政調査会長)、高村象平(慶応塾長・私大審議会長)、後列左から安宅学生課長、嘉冶図書館長、小島常任理事、関常任理事・大学設置特別委員長、万沢教務部長、菅原事務局長、清水経理部長。

第2代学長・黒沢清(前横浜国大学長)

「学報」(年刊誌)は開学十周年を期して学内文化総合誌として広報室から刊行された。

※このコーナーの掲載内容は、オリジナル写真集 「目でみる獨協百年 1883-1983」の内容と一部異なる部分があります。また、「獨協百年」(獨協学園百年史編纂委員会発行・全5巻)のグラビア、「獨協中学校・高等学校のあゆみ」(後援会発行)等の内容を活用・引用している部分があります。