明治中期の全生徒と西小川町校舎。中央B棟の二階(会議所兼応接所)がみえる。この写真は明治35年初、在独の大村が印刷して火災救援のパンフにしたもの。この地所は旧北白川宮邸地。
西小川町。左辺上部内 953 坪(15番地)が明治17年10月以来の新校舎地。
斜め下の内 554 坪(2番地)が後の分校地。
(明治18年、西川光通編、国立国会図書館蔵)。
瀟洒な獨逸風木造洋館の新校舎C棟(明治17年10月完成)。西小川町1丁目15番地(獨協草創期の井口栄治(数学)教諭提供写真)。
15番地は幕末期には黒川左京邸、2番地は田沼安二郎邸。赤松邸となった1番地は前田冨十郎邸跡。北の陸軍演兵場(旧幕講武所跡)は三崎カ原と俗称され獨協生の雪合戦や野球の舞台であった。