創立期獨逸学協会学校の創立〜1883年10月22日〜

明治中期の全生徒と西小川町校舎。中央B棟の二階(会議所兼応接所)がみえる。この写真は明治35年初、在独の大村が印刷して火災救援のパンフにしたもの。この地所は旧北白川宮邸地。

西小川町。左辺上部内 953 坪(15番地)が明治17年10月以来の新校舎地。

斜め下の内 554 坪(2番地)が後の分校地。
(明治18年、西川光通編、国立国会図書館蔵)。

瀟洒な獨逸風木造洋館の新校舎C棟(明治17年10月完成)。西小川町1丁目15番地(獨協草創期の井口栄治(数学)教諭提供写真)。

15番地は幕末期には黒川左京邸、2番地は田沼安二郎邸。赤松邸となった1番地は前田冨十郎邸跡。北の陸軍演兵場(旧幕講武所跡)は三崎カ原と俗称され獨協生の雪合戦や野球の舞台であった。

※このコーナーの掲載内容は、オリジナル写真集 「目でみる獨協百年 1883-1983」の内容と一部異なる部分があります。また、「獨協百年」(獨協学園百年史編纂委員会発行・全5巻)のグラビア、「獨協中学校・高等学校のあゆみ」(後援会発行)等の内容を活用・引用している部分があります。