青年の魂をとらえ、力を奮いたたせ、志を身につけさせることに成功した学問と思想が次の時代をにぎる。英学・仏学では明治十年代までに多くのユニークな私学が誕生し、近代化に貢献しはじめている。獨逸学協会が基礎からの正則科と速成の変則科をもつ私学をつくり、獨逸に学ぶ道を明治青年の前に開いたのは、いわば当然であった。獨逸の法律・政経・軍事・医歯薬・科学を吸収するためにも獨逸語学習が不可欠であった。学校開設に奔走した 品川彌二郎 たちが、日本の学風と国体を土台にしてのみ獨逸学を学ぶ意味があることを力説したのに注目しよう。
10月22日の開校式を伝える読売新聞(中立系新聞、10月24日)。教師13名。新入生13名は103名の誤り。授業は10月25日より始めた。
獨逸学協会学校設置を報ずる福沢系の時事新報(9月22日)。
協会総会での 品川 演説(東京日日新聞、9月20日)。
協会学校生徒の募集広告
(東京日日新聞、9月28日)。
協会学校生徒の募集広告(東京横浜毎日新聞、9月21日)。協会事務所が麹町区上二番町15番地になっている。
獨逸学協会の事務所移転j広告(時事新報、10月24日