「長身でスマートなヒットラーユーゲントと講堂で食事をしながら片言のドイツ語で語りあったり、ナチの宣伝映画を感激のまなこで見たり」(三坂芳郎)が、15年戦争期の獨協生のつかの間の華であった。壁にも廊下にも穴があき天井も床も泥まみれに荒れはてた校舎の中で歌われるザール先生のシューベルトやブラームスのドイツ歌曲は、少年たちの耳の底に深く残り、悲惨な第二次世界大戦のにがい風雪にたえた。どんなに悲しく苦しい環境の中であっても、獨協生たちは友情を暖め、師弟愛を信じ、ドイツ文化を思い、わずかの勉強時間を無駄にはしなかった。
創立50周年記念祝賀会の演壇幕(下の写真演壇に注目)。最近になって獨協中学・高等学校内倉庫で発見された。刺繍も美しく色あせなく良好な状態で、同窓会で大切に保管している。
第8代校長・司馬亨太郎(陸大教授)。
昭和初期の目白台全景。
恩師散策の図(昭和初年代・獨協百年第2号収録)
左から深井(国語)、津田(英語)、永井(漢文)、松崎(修身)、加藤(国語)、飯山(化学助手)、司馬校長(独語)、楢崎(数学)、田島(柔道)、梅沢(国漢)、岩佐(配属将校)、多田(国語)、奥田(教監)の先生方。