序文
獨協学園百年史編纂委員長
小池 辰雄
「獨協」という名称は明治14年(1881年)に北白川宮能久親王を会長として設立された「獨逸学協会」に由来するもので、我々が茲に謂う「獨協百年」とは「獨逸学協会学校」が創立された明治16年(1883年)から通算して本年昭和58年(1983)年が百周年に当たるからである。創立記念日は10月22日で、創立に際しては、人物教育の亀鑑吉田松陰の直弟子品川彌二郎が熱烈なる主唱者であったので、彼が創立委員長に推された。
この百周年記念祭の委員長は、歴史的な獨協中学・高等学校の名誉校長にして第二次大戦後、創立の主旨を復興し且つ展開した哲人にして今は在天の天野貞祐学園長と協力し、諸々の艱難を克服して献身的に獨協大学・獨協医科大学・獨協埼玉高等学校等を建設した強力な実践家関湊理事長である。
如何なる国家も民族も、それぞれ存在の歴史的意義と使命を有っている。その獨自性を相互に尊重し、共存共栄すべく協力するところにまことの平和と栄光があろう。世界の現実が凡そこの理念から逸脱している危機的な現今、教育の一環を承っている「獨協」は、この漢字が示唆する如く、「獨協」の獨自性を深く自覚して、学園の各部門が協力する楽園的学園であると同時に、他の諸学園ともいよいよ交流するものでありたい。それを医学界に於て国際的に実証したのが獨協医科大学初代名誉学長石橋長英博士である。
本誌の年表は単なる事実項目の羅列でなく、明治・大正・昭和の歴史と関わり浅からぬ獨協史がパノラマの如く繰り広げられてくる趣きを備えたもので、特に「百年史」全般の編纂主任たる斎藤博獨協大学教授の苦心に負うところ大である。また多種多様の映像写真・絵画・遺墨・諸紙面紹介等々のための資料収集とこれが選択・整備等の労を尽したのは主任を始め、編纂委員・専門委員の諸氏及び助手の諸君で、茲に心から感謝の意を表する。また誠意一貫これが協力と撮影及び印刷の掌に当った三陽社山田社長と、特に三陽印刷の工場長城石典彦氏とその他写真製版やデザイン関係諸氏に衷心よりの謝意を表する。
(昭和58年10月)