山脇 玄
(1849~1925)獨逸法学の第一人者。明治3年勅命により西洋医学研究のためドイツに留学を命ぜられ、解剖学を学ぶが、青木周蔵(外交官)からの強い説得により法学に転向。ベルリン・ハイデルベルク・ライプチヒの諸大学にて、法律・政治・経済・国法・国家学の諸学を学び、日本人として初めて獨逸政府よりドクトルの称号を授与される。明治憲法・皇室典範の草案・起草に参画。明治23年、獨逸学協会学校教頭に就任。明治24年12月、貴族院議員に勅選され、その後行政裁判所長官として日本の法体系整備に尽力する。ドイツ皇帝より勲一等王冠勲章を授与される。貴族院本会議において日本で最初の婦人参政権附与提案演説を行なう。明治36年、山脇学園を創設。勲一等、ドクトル、法学博士、貴族院議員。大正14年(1925)没。