序章

百年祭にあたり

獨協隆盛の父

獨協学園理事長 関 湊

   このたび、私ども獨協学園は、創立百周年を迎えることになりました。この写真集により学園百年にわたるあゆみを振り返りながら、未来へ向って、さらに大いなる一歩をふみだしたく思います。

   松下村塾門下の品川彌二郎先生によって創設され、ドイツ人学者をはじめ哲学者の西周先生や法学者の山脇玄先生ら一流の洋学者が教育に参加した獨協は、ユニークな専修科をもち、出発しました。明治中期以後は、ドイツ語の学習を土台に医・歯・薬等に進学する青少年教育に戦前大きな功績を果たしてきたのです。この輝かしい歴史の上に積み上げられた最近20年間の目覚しいあゆみに対し、理事長として微力を発揮できましたことは、私の深く喜びと致す所でございます。

   百周年を迎えるにあたって、旧中学同窓会の皆様方、在校生諸君の御父母の皆様方、大学や医科大や高校の同窓生の皆様、あるいは獨協学園に暖たかいまなざしで目をかけて下さった全国の方々や全教職員の皆様の御協力を拝受し、私は心から感謝しております。

   どうか皆様方、今後とも、更に200年にむけ発展をしていく獨協のために、御力添えを賜わりたく、本史「獨協学園百年史」に先んじての図録「目でみる獨協百年」の刊行に際し、御挨拶を申し上げます。

(昭和58年10月)


 町の祭は、山車に乗る人、引く人、押す人、先導する人、はやす人、見物の群、祭をとりしきる人など、多くの種類の役割をになう人々の協同があって、はじめて成り立つのです。江戸時代の早かごなどは、全力で走る前と後のかごかき、前を縄でひっぱる男、後から押す男、先を走って道案内する男など数人のかご屋仲間の協力ばかりでなく、早かごに乗る男もかごの中で激しい動きに合わせ、皆と呼吸を合わせて乗っているのです。

 独立の人格を持った獨協人の一人一人が相互依存の協同精神で、頭脳・筋骨・手足・智慧・金を持ち寄り、お互いの信頼と友好の上に、獨協学園の将来を強固にいたしたいと思います。

関 湊

※このコーナーの掲載内容は、オリジナル写真集 「目でみる獨協百年 1883-1983」の内容と一部異なる部分があります。また、「獨協百年」(獨協学園百年史編纂委員会発行・全5巻)のグラビア、「獨協中学校・高等学校のあゆみ」(後援会発行)等の内容を活用・引用している部分があります。