苦悩期苦悩の学園〜15年戦争下の青春〜

獨逸学協会学校校歌



獨協校歌の作曲者・東儀俊龍(1865~1927)は宮内省雅楽師。東儀鉄笛のあとをうけて音楽教師(明治39~大正4年)。のち楽師長。仁太郎の指示で明治36年前後に校歌作曲。

嗣子俊輔も音楽教師(昭和8~12年)。大村の弟・恕三郎(明治26~38音楽教師)も宮廷雅楽師となったが明治38年退職、本願寺系の相愛女学校教師になり洋楽家として大成。恕三郎の妻が俊龍妻の妹。

作詞は実は大村から依頼された志田義秀(明治36~40国語教師)が恩師芳賀矢一の校閲・補佐を得て芳賀の名義で発表した。語学雑誌や戦前一部の卒業アルバムは志田作詞に直している。志田はのちに旧制六高教授、「日本類語辞典」編者、文学博士。


明治調の本格赤煉瓦の塀もゆかしい協会学校中学の校門と校旗

※このコーナーの掲載内容は、オリジナル写真集 「目でみる獨協百年 1883-1983」の内容と一部異なる部分があります。また、「獨協百年」(獨協学園百年史編纂委員会発行・全5巻)のグラビア、「獨協中学校・高等学校のあゆみ」(後援会発行)等の内容を活用・引用している部分があります。