苦悩期苦悩の学園〜15年戦争下の青春〜

ヒットラーユーゲント代表の獨協訪問(昭和13年9月27日)
獨協アーベント(文化演芸会)昭和13年4月6日(芝田村町飛行館)。在日ドイツ人少年少女が「ヒットラーユーゲントの歌」を合唱。
校庭での歓迎式「ハイル・ヒットラー」
壇上は小山校長。(獨協百年第2号収録)
These Times (1983年1月号)
日独防共協定で反英米の日独枢軸ができあがった(大阪朝日新聞、昭和11年11月26日)。
大東亜戦争前夜。対米英戦の構図が完成(昭和15年、朝日新聞)。
The New York Times, Weekly Review(1983年1月30日)
大東亜戦争開戦を報ずる読売新聞(昭和16年12月9日)
第9代校長・小山松吉
(司法相・法大学長)
布製の校章(戦争末期から直後の学帽 [戦斗帽] の徴章(右)と学生服左胸の校章)。金属不足でいずれも布製。(高崎獨協医大教授提供・獨協百年第3号収録)

戦時下の恩師(昭和19年3月卒業式・獨協百年第2号収録)
前列は左から田島、永田、松室、長崎、田村教頭、小山校長、池田配属将校、梅沢、米波、平岡の諸先生。中列左から橘、西村、小袋、奥田教監、島田、1人おいて吉村、石川教官の諸先生。後列左から堂場、1人おいて神保、松島、鷹野、大久間、相沢教官、1人おいて野口、本木の諸先生。

※このコーナーの掲載内容は、オリジナル写真集 「目でみる獨協百年 1883-1983」の内容と一部異なる部分があります。また、「獨協百年」(獨協学園百年史編纂委員会発行・全5巻)のグラビア、「獨協中学校・高等学校のあゆみ」(後援会発行)等の内容を活用・引用している部分があります。