第8回国際東洋学会目録。在獨中の大村ら獨協校友たちが出席、世話をした。和獨会も同時に開催された。
日獨貿易の進展は英米のそれに比して非常に遅れたが、医薬・化学・技術面でようやくみられるようになった。
中村正直(ミル「自由之理」訳者、帝大教授)の大村宛の手紙(明治20~23年日か)。長衛は大村 の父。
信用組合法案(貴族院提出)について秘策をねる平田と品川(明治24年)。ドイツに学んだ二人は、ビスマルク時代の社会問題対策や都市職人・労働者・小農民対策を学習して、庶民金融と同業互助組織の形成を明治20年代はじめから企図した。将来、必らず大きくなる社会党や労農運動への準備でもあった(国立国会図書館所蔵)。
校地のせますぎる獨協の移転問題で相談を受けた桂太郎(陸相・陸軍大将)の品川宛の返信(明治32年)。今の千鳥ケ淵公園のあたりの官有地払下げとは話としても面白いが、むしろ品川の獨協経営の苦心に感銘する。
ベルリンから留守家族宛の大村のはがき(明治35年4月3日の和獨会の時にくばった 「前年末・明治34年12月5日、本校舎大火の写真」 を使用)。故国の桜のこと、自宅庭のこと、子たちの勉強ぶり、親族の病気への配慮が読める。